リチウム①プロローグ。
令和元年。
8月21日。午後3時。
炭酸リチウム200mgを150錠、
10分後には意識がなくなった。
「お母さん、覚悟はして下さい。」
母親が市立病院の医師に言われたらしい。
不死身の生命力により一命はとりとめた。
また、死ななかった。死ねなかった。
そして精神病院に移された。
目覚めると保護室だった。
鉄格子、便器、布団、固く閉ざされたドア。
これが保護室の全て。他には何もない。
保護室初日、地獄の日だった。
リチウム中毒により、全身が酷く重い。
立つことすら難しい。
そして激しい息苦しさ。
大声でナースを呼んでも誰も来ない。
1人、もがき苦しんだ。
まさに、地獄だった。
初日が終わると、幻覚の日々になった。
自分の側には、かわいい女の子がいた。
外には大きなクジラが泳いでいた。
家族が脱走の手伝いをしてくれた。
人を殺した。警察に怯えた。
すべてが幻覚だった。すべてが。
何が幻覚で何が現実か、分からなかった。
リチウム中毒の症状は1週間ほど続いた。
1週間、自分は一睡もしなかったそうだ。
保護室2週間目に入った。
この時期が最も苦しかったかもしれない。
ヒマだからだ。
6時に起き、20時に眠剤をもらうまで、何もない保護室で恐ろしく退屈だった。
筋トレ。妄想。散歩。爆唱。
気が狂うかと思った。
保護室の地獄生活は21日目にしてようやく終えた。間違いなく、人生最悪の3週間と言える。
けれど、この地獄を受け入れている自分もいた。
昨年、自分は世界で最も幸せな経験をした。
そして同時に、多くの罪をつくった。
その罰が、この生活だった。
自分は贖罪を果たした。
to be continued …