純愛

All I need is love.

理由。

 

「メンヘラは根が真面目」

 

よく言うことだが、その通りだと思う。

真面目だからこそ、理想と現実の乖離が大きくて苦しむ人が多いと見てて感じる。 

 

 

 

 

そしておれも根が真面目だと思う。

こういうの自分で言うもんじゃないんだけどわりとがちで。

 

 

 

その証明に公認会計士試験に合格したことがある。

 

 

難関大学合格や難関資格合格というのは、頭のよさは担保しないけれど真面目さはある程度担保してくれるという持論がある。

 

 

真面目に毎日こつこつ勉強しないと受からないから。変な方向の努力をしない限り、ほとんどのペーパーテストは真面目に勉強すれば受かると思っている。

 

 

 

 

というわけで「真面目」で「がんばらなければいけない」「がんばらない自分に価値はない」と思い続けていたことが希死念慮の大きな原因になっていたと考えておれは「がんばること」をやめた。

 

 

 

わざと不真面目に、堕落した人生を送ることにした。極端過ぎるとは思うけれど。

 

 

 

その努力が実り(?)、「がんばらない自分」が苦ではなくなった。「がんばらない自分」を責めずに、許すようになれた。

 

 

 

 

でもそうなってくると、自分は責めないけれど周囲が責めるようになる。

 

 

家族が。兄弟が。世間が。

当然だ。親にいつまで迷惑をかけるのか。

心配するのも当然。

 

 

 

 

でもおれはがんばれないんだ。

がんばれない。もう少し待っててくれと言ってもいつまで?となる。

 

 

週5で働くことは当たり前。

休みがほとんどない人もいる。

毎日泣いてる人だっている。

みんなそうやって耐えて耐えてつよくなっていく。みんながんばっているんだ。あなただけつらいのではないのだよ。

 

 

 

 

あまりにも正論過ぎる。

 

 

 

 

正論や真実は残酷だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

みんな働いているのにあなたは何故休んでいるの?あまりにも当然。

 

 

がんばれないなら死ぬしかなくない?

 

 

 

 

 

おれの最愛の人は母親だ。

その母親が涙を流して訴えてもおれには出来ない。

 

 

 

 

 

 

だから死ぬんだよおれは。

 

 

 

 

 

 

文章めちゃめちゃで申し訳ない。

矛盾とかもめちゃめちゃある。

余裕があればじっくりよみなおしてもう少し考えたいけどいま素面じゃないしだめだ。

 

 

 

とりあえず死ぬ理由をざっと書いた。

 

できればまた書き直して反論不可能な美し過ぎる死ぬ理由を残したいけどいまはむりだ。

 

 

これでまあ死んでも大丈夫。

 

 

 

 

 

いや、きょうはまだしなないけど。

 

 

 

 

 

母親のためだけに生きてた。

心から愛していた。

 

別に誰が悪いとかそういう問題ではない。この世界はどうしても適合出来なかった。無理だった。それだけ。