たかまる!希死念慮。
最近希死念慮が激しくなっている。
希死念慮とは、何か特定の理由があるわけではないけれど、慢性的に死ぬことを希望している状態を言うらしい。一言で言えば自殺願望。でも自殺願望ともまた若干ニュアンスが違う気がする。希死念慮は、物心ついたときからずっとある、というイメージがある。
この言葉を知ったのは今年に入ってから。自分の「症状」に名前がついてるのを知ってうれしくなった。
で、最近その希死念慮がたかまってる。
毎年、11月はそうなる。
自殺未遂して大学を中退したのも11月。
去年の11月も本当に死のうか考えていた。
11月は、季節の変わり目で寒くなって身体的にも精神的にもしんどくなるのがひとつの理由だろう。
それともうひとつ、11月17日に、獅子座流星群を見に行き、その翌日、父が死んだらしい。
その頃の幼い自分の悲しい記憶が蘇るのかもしれない。
当時の記憶は全くないが、父が死んでからも暫く玄関の前で父を待っていたらしい(ほろりとするエピソード)
いや、全く記憶がないわけじゃない。
火葬されるときの記憶がある。
父が棺に入っており「お父さん寝てるの?」と母に聞いていた覚えがうっすらとある。
それだけ。
話が逸れたけど、本当に死ぬような気がする。
生きることがつらすぎる。
希望がないわけじゃない。
真面目に働けば、かなり稼げるし。それに、将来的には信頼してる友達と事業をやりたいと思ってる。メンヘラ(生きづらさを感じている人たち)の居場所になるような、カフェかシェアハウスみたいなものをやりたいと思ってる。ブロンをのんで語り合ったり。小さな夢。
人生は努力次第でおもしろくなる。
たのしいこともいっぱいあると思う。
でも、もうがんばりたくない。
がんばってまで、人生生きたくない。
どうしても、生きられる気がしない。
あと何十年も。
でも、どうしても死ねない。
それは母の存在があるから。
基本自分は怖いもの知らずだと思う。
死ぬことも、逮捕されることも怖くない。
本気になればどんなことでも出来ると思ってる。
でも、母が悲しむ姿は見たくない。
いまおれが死んだら、母の人生はなんだったのか。
国家試験受験生の間ずっと支えてくれたのは母。東京へ行く引っ越し代や敷金礼金を出してくれたのも母。東京まで不動産屋に車を運転してくれたのも母。スーツを買ってくれたのも。入院代を払ったのも。
そう思うと、いまのおれは本当に何してるんだろうと思う。恩返しするべきだろう。
真面目に働くべきだろう。
そんな母がいるから、どうしても死ねない。
母はおれが死んだら必ず死ぬと言っている。
おれみたいに、ダウナーの果てのように死ぬのは良いんだけど、おれが死んだ後の母は、大号泣しながら、気が狂いながら、悲しみの果ての中死んでいくんだろう。
そう思うと、どうしても死ねない。
じゃあどうすれば良いのか。
母が死ぬまで惰性で生きるしかないのか。
どうしても死にたい。
どうしても死ねない。
どうすれば良いのか本当に分からない。